【日本史がおもしろくなる日本酒の話】~ベトナムのSAKEの在り方を考える~ 前編
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今回は日本酒の歴史について書いていきたいと思います!
海外でSAKEを造っているからこそ、日本の酒の歴史について勉強した方がいいと思い、『日本史がおもしろくなる日本酒の話』という本を読みました。
こちらで日本酒と日本史の関係の深さについてまとめました!
日本酒の勉強だけでなく、日本史の復習にもなりますので、気になりましたら是非読んでみてください~
今回は、縄文時代から平安時代の日本酒について紹介していきたいと思います!
日本酒のスタートはいつ!?
酒が記録上認識されたのは1世紀に中国の書物『論衡』です。
そのときは酒に薬草をつけたものとしたそうです。
その後弥生時代になると『魏志倭人伝』で邪馬台国の記載があり、飲酒が喪に服した時の弔問として飲む習慣があったとのこと。
『米の酒』と具体的に明記されるようになったのは713年の『大隅風土記』とのこと。
稲作は縄文時代に中国(福建省辺り)やベトナムから日本に渡ってきたとされています!
さすが世界の米どころベトナムですね!
正直、ベトナムという説が出た時テンションあがりました笑
kindleで読んでるんですけど、ハイライトしちゃいました笑
そうして米が伝わってきて、日本酒ができたとのことです。
その酒は、皆さんもご存知とは思いますが、『口噛み酒』です。
『口噛み酒』は『君の名は』の映画で登場していましたね!
煮た米を噛んで、それを口から出して数日間発行させて醸造するというやり方です。
そのプロセスは、でんぷんを唾液に含まれる酵素でα化し、天然酵母でアルコール発酵をするという造り方です。
どうやって造ってたの!?どうやって飲んでたの!?
皆さんが弥生時代と聞いて印象に残るものは、『土器』ですよね!?(笑)
その中の須恵器と呼ばれるもので『米を蒸す』ことができるようになり酒を造ったり保管していたとのことです。
663highland, CC 表示 2.5, リンクによる
そしてこのころから領地などの『争い』が起きるようになりました。争いの頂点にいたのが邪馬台国の卑弥呼です。
そしてこの頃にはコウジカビという発酵の文化も中国から入ってきました。
ちなみに入ってきたカビは恐らくコウジカビだけではなく、紹興酒に使われている「クモノスカビ」、コーリャン酒の「ケカビ」も入ってきたとされています。
なぜコウジカビを用いた酒造りが流行ったかというと、恐らく日本の環境に適していたのがコウジカビだったと推察されています。
弥生時代から既に米を用いた地酒という文化があったのかもしれませんね。
そしてこのカビの登場により、これまで少量しか造れなかった口噛み酒からの大量生産が可能になってとされています。
神と酒
お酒は神に供えるモノとしてなんとなく認識されてると思いますが、ここでの話は少し違います。
出雲の国に降り立ったスサノオ(アマテラスの弟)がヤマタノオロチを退治するときに酒を造ったとされています。
このとき造った酒は現在で言う『貴醸酒』と言われています。
当時は精米もなく水も衛生的ではなかったので、一度仕込んだ酒を水の代わりに用いてアルコール度数の高い酒を造っていたとされます。
アルコールの高い酒をヤマタノオロチに飲ませて、酔っぱらったところをスサノオが倒したとされています。
倒したヤマタノオロチの体内から出てきたものが三種の神器である草薙の剣ですね。(ドラクエのヤマタノオロチにラリホーが効くのこういうことかもしれませんね笑)
この話は、ニューヨークの酒蔵であるBrooklyn Kuraの杜氏ブランドンがとても好きでしたね笑
参考程度ですが、下に酒に係る神社と神様を4柱(神の単位)を紹介します。興味ございましたら是非行かれてください。
甘酒の元祖とされているカミアタツヒメ(別名:コノハナサクヤヒメ)。
山の神、酒の祖人とされているオオヤマツカノカミ(コノハナサクヤヒメの父)であり、三島神社(大阪)、梅宮大社(京都)に祭られています。
国の守護神、農作や稲作の神様であるオオクニヌシは出雲大社に祭られています。
最近では酒を収める蔵が多い最も有名な神社である松尾大社、日吉大社、日枝神社(東京)で祭られてるオオヤマクイノカミがいます。
酒造りって誰がやってたの!?
お金の概念ができるまで物々交換の時代だったというのは皆さんもご存知だと思います。
和同開珎で日本にもお金という概念が入ってきたのが奈良時代(平城京)の時代です。
As6022014 - As6022014が撮影, CC 表示 3.0, リンクによる
今の私たちでも新しい電子マネーやら仮想通貨など新しいものには懐疑的な人もいるので和同開珎となったからといって全てがお金で取引されているわけではありませんでした。
そのため、酒も給料として支給されていました。
そのため、身分によって飲める酒が決まっていたとのことです。
一番いい役人には、清酒が与えられ、下級役人には、濁酒、そして平民には酒粕を水で溶いたものが支給されていました。
当時は酒蔵というものも存在しておらず国の役所の完了が酒造りを行っていました。そ
して時代が変わっていき、お寺でも酒造りが行われるようになってきました。まさに国酒になってきた時代ですね。
これから武士の登場により酒がどう変わってきたのか?、まだ出てきていない蒸留酒『焼酎』もいつ出てくるのか?
皆さんも知ってる歴史のある酒蔵の名前は出てくるのか?といった楽しみは次回です!自分がまとめるより皆さんが読んだ方が早いかもですが笑
自分はこの本を読むまで、日本史に全く興味がありませんでした。
こんなご時世ですから営業にも行けないので『酒・SAKE』について考える時間が多くなり、酒と向き合う時間が増えてます(飲む時間も増えてますね笑)
海外の人にとって文化を知るということは、その国の宗教観を知る意味でもあると思います。
ベトナムにはベトナム語のSAKEの本が少ないです(自分は見たことないです)。
ベトナム人にとってSAKEというのは日本のアルコール飲料や質の高いアルコール飲料くらいにしか思っていないのかもしれません。
酒は米で造られていることも知らない人がいるため、それを知ってもらうためにも『歴史』を伝えていくことが大事だと思っています。
実はこういう風にブロブにまとめながら、SAKEの本や発信していく教材を作ることが目的であったりもします笑