『歴史を変えた6つの飲物』蒸留酒編②/蒸留酒の闇

投稿者 : SaitaYoshiro on

前回は蒸留酒の流れについてさらりとご説明させていただきました。今回は、どのような蒸留酒どのように扱われていたのかについて解説していきたいと思います。

前回までの蒸留酒のイメージは『命の水』アックア・ヴィータが万能薬として消毒としてや酔うことによる精神緩和などの役割を果たしていました。15世紀以降は薬よりも短時間で酔わせてくれる飲物として飲まれるようになりました。蒸留酒は醸造酒よりも製造がしやすいとこで北ヨーロッパの寒冷地の人々はワインやビールを蒸留して飲まれていました。

≪蒸留酒の代表ウィスキー≫

ウィスキーはアックア・ヴィータを意味するゲール語「ウシュク・ベーハー」の語源です。今や日本を含めた世界中で大流行している飲物ですが、アイランドでは生活様式の一部として15世紀から愛飲されています。

≪燃やしたワイン≫

アックア・ヴィータは燃やしたワインと呼ばれており、ドイツ語では「ブラントヴァイン」、英語で「ブランデーワイン」と呼ばれ、「ブランデー」と呼ばれるようになりました。ブランデー=アックア・ヴィータ=命の水であり、ワインを蒸留したものがブランデーであることを知らなかった人が多いのではないでしょうか。

≪ブランデーの闇≫

蒸留酒の普及は大航海時代と相まって、世界中に広まっていきました。日本に焼酎として入ってきたのも15世紀あたりです。今回は触れませんが、『15世紀』というのが蒸留酒において転換期であることは間違いないです。
大航海時代は響きがいいですが、この時代は奴隷の歴史を象徴しているとも言えます。奴隷を使って、さとうきびの生産をさせて、労働対価としてブランデーが交換に使われていました。そして、さとうきびの生産をさせていたことから、砂糖の生産過程で強力なアルコール飲料が誕生していきます。

≪キル・デビル:ラム酒≫

名前の由来は、「非常に強いが、味はいいとも言えない。しかし、人々はこれを大量に、実際には飲みすぎるほど飲む。酔っぱらって地面で寝ている者も大勢」ということからキル・デビルと言われていたとのこと。語源は、「ラムバリオン」で「騒々しい喧嘩、暴力騒ぎ」を意味している。連れてきた奴隷に新たな環境になじませるための手段として提供されていました。ラム酒もまた通貨としての役割を果たし、ラム酒と交換で奴隷を買い、奴隷を使って砂糖を生産することを繰り返されていたようです。

≪アメリカ建国にかかわった飲物:ラム酒≫

先ほどは悲しい歴史のラム酒でしたが、アメリカ独立戦争にもラム酒はかかわりがありました。砂糖の取引を巡ってアメリカと英国間で亀裂が生じてきました。この両国は「茶」の取引でも問題が生じ、ボストン茶会事件というものがあり、独立戦争へと繋がっていきました。

≪ウィスキーの反乱から生まれた:バーボン≫

アメリカの入植者の多くは、アイルランドやスコットランド系が多かったことから、砂糖を使って蒸留するラムではなく穀物の蒸留酒であるウィスキーが作られていました。独立戦争の直後の公債を精算するために、蒸留酒の生産に課税が課せらるようになりました。しかし、納税を拒否する反乱が拡大していき、反乱がおきました。反乱は政府によって鎮圧されましたが、アイルランドやスコットランド系の反乱民がケンタッキー州に移動し、ライ麦だけでなくトウモロコシからもウィスキーを作り出し、その地域の名前を使ってバーボンと呼ばれるようになりました。

 

以上が蒸留酒のそれぞれの歴史です。テイストについての記述をしてしまうと脱線しやすくなりますので割愛しています。現在それぞれの蒸留酒もその地ならではの特色がでているので、その土地に馴染んだ味になっていることは間違いありません。

ワインやビールといった醸造酒よりも人気であった理由が「酔える」というのがポイントであるみたいです。「奴隷」の飲物であったことも忘れてはいけない事実でもあります。安く酔うことができる蒸留酒が、高く酔いにくいワインに勝てなかった理由は、宗教であると思っています。キリスト教とワインの関係が何よりも深かったのかなと思っています。もう一つはコストパフォーマンスという概念は日本以外では通用していないのかもしれませんね。何らかの価値を提供し続けることが嗜好品には必要不可欠なことであると思っています。焼酎はどのように飲まれていったのか気になってきましたね。日本酒との関係性についても触れていけたらと思っています。

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