【日本史がおもしろくなる日本酒の話】~ベトナムのSAKEの在り方を考える~ 後編
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前回は縄文時代~平安時代までをサクッとまとめていきました。
今回は続きの鎌倉時代からです。時代が大きく変わり武士が登場してきます。
お酒は「買う」時代へ
鎌倉時代になり、武士が世を治めるようになりました。
日本の中心も、京都から鎌倉へと移ったことにより文化や嗜好が変わりました。
平安時代までは役所が酒造りをしていましたが、時代の変化とともに国の事業としての酒造りは衰退し、代わりに『酒屋』が発展してきました。
その結果、お酒は「買う」という認識になっていきました。
また「飲み会」の概念もこの時代から始まりました。
客が来た時には、宴が始まり、酒肴が出され、一献目の盃が主人から勧められ、客がそれを一口飲むと隣の人に回していく(上座→下座へ)
という回し飲みをしていました。
お酒は古代より神様に捧げられるものでしたので、先に神様が飲み、その後人間がおこぼれをいただくという考え方からきているみたいですね。
お客様は神様という日本人の発想は、鎌倉時代からあったのかもしれませんね。
酒造り分業制へ
室町時代になると、戦乱で疲弊した財政を立て直すために酒税が導入されました。
また、麹を作る業者も登場してきており、現在の酒造りと同じようにコウジカビを酒屋が仕入れて、酒屋が酒造りを行うという流れになってきました。
京都が酒造りで有名だったのは、日本中から米を年貢として納められていたからとされています。
その結果、酒造りに必要な米を手に入れ、酒造りに必要なコウジカビを販売するところが出てきたという流れです。
そのため、室町時代には京都に300軒以上の酒蔵があったとされています。
Kat Clay from Sydney, Australia - Takayama Sake Shop, CC 表示 2.0, リンクによる
また平安時代からお寺でも酒造りを行っていましたが、室町時代でさらにレベルアップをしました。
『菩提泉』という奈良から天理へ向かう政略時で造られていたお酒です。
今まで一段仕込みで造られていた酒が現在で支流の三段仕込みに変え、大きな樽を使って仕込み、火入れをして出荷していました。
この時代に既に現代酒造りの基盤ができていたということですね。
武士が流行らせた戦国・江戸時代
皆さんも有名な武将が登場してきます。
武将=酒豪のイメージもあるかもしれませんが、下戸だったとして有名だったのが、今年の大河ドラマの主役である『明智光秀』と言われています。
それでも酒豪が多いので、豪快な飲み会は開かれていたみたいですが、なんとも現代風な飲み方を推奨していたのが、『豊臣秀吉』です。
大阪城では、「飲める人飲め、飲めない人は無理して飲むな」という方針とのことでした。飲み方の周期的に変わっているのかもしれませんね。
また各地域に大名が統治するようになりその地域の特徴を活かした『地酒』が流行っていきます。加賀、奈良、博多の地酒は大坂城でもよくふるまわれたみたいです。
江戸になると鎖国してしまったため、国内での造りに大きな変化があまり出ませんでした。
しかし、参勤交代などで多くの地域との交流ができたおかげで酒造りの専門がである『杜氏』が頭角してきます。
東北や京都の技術を他地域に広めることで酒質の向上が図られました。一番人気だったのが南部杜氏でした。
江戸時代の代表的なアルコール飲料は、『味醂』と『焼酎』です。
味醂は高級酒として飲まれており、焼酎は味わうというより酔うための酒として飲まれていました。
意外なことに味醂と焼酎をブレンドして飲む飲み方も流行っていたみたいです。
焼酎の文化は琉球から伝わったとされていますが、琉球に伝わる前はシャム(ベトナム)から伝わったとされています。
蒸留技術は中国発祥ですが、米どころの中国南部・ベトナム辺りから日本へ技術が伝わったとされています。
鎖国していたのに、長崎以外から伝わったとされるのは本当に面白いですね。
科学技術を駆使して変化した明治以降の酒
明治になると多くの技術が世界から入ってきます。
一番酒造りを変えたのは、精米機と思っています。
この時期から酒造適合米も出現し、よりよい酒造りが行われるようになってきました。
口噛み酒から精米機まで日本酒は長い時間をかけて日本を見ながら変化しているのだとしみじみ思いました。
また戦時中の日本を支えたのも『日本酒』です。
酒税として財源に貢献し、飲む人の不安やストレスを解消させたとされます。
日本酒に依存してきてしまった結果、『三倍増醸酒』というものがあります。
簡単に言うと、純米酒が腐敗してしまうのを防ぐために醸造アルコールを添加してお酒の量を2倍にします。
それをそのまま飲むとアルコールが強すぎるので、ブドウ糖、水あめ、グルタミン酸などの調味料を加えて清酒(純米酒)を3倍にして売る商品です。
現在では禁止になっていますが、なぜこんなのが造られていたのかと思うと思います。
気候変化や戦時中の米収穫不足・不良と満州に進出した日本人に日本酒を飲んでもらうために造ったようです。
暫定措置として作っていたのですが、悪いことに米不足が解消されてからも続けてしまいました。
これが日本酒離れを加速させてしまったと言われています。
戦時中まではここまで日本人が日本酒を好きでいたのにもったいないですね。
本の内容はここまでです。フエフーズを含めて世界中で日本酒(SAKE)が造られるようになってきています。
日本人でない人がSAKE造りをしていますが、彼らのSAKEは純米酒が圧倒的に多いです。
それは彼らの日本酒へのリスペクトがあるからだと思っています。
フエフーズも他国で作るからこそ日本酒への尊敬を忘れることなく、日本酒に近しいテイストを実現しながらベトナムに馴染むSAKE造りを行っております。
日本酒は日本をずっと見てきているので、日本酒の歴史は日本の歴史でもありますね。
私自身も日本酒の歴史の本は何冊か読んでいますのがこの本が一番ビギナー向けだと思っています!
Hue FoodsのSAKEはこちら
ベトナムの長粒米で仕込んだ清酒です。辛口淡麗で、のどごしがすっきりとした味わいになっております。常夏の国で仕込んだ純米吟醸は日本とは違った吟醸香を醸しています
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